そうして豫め主人三成としめし合わせ、或る日の合戦に戦場に於いて行くえ不明になったかの如く取りつくろい、人知れず陣中を脱出して釜山より名護屋に帰り、ついで京都に上ったのであるが、その途中から盲人の真似をし始め、琵琶を背負うて京上りをするめくら法師になり変ったのであると云う。
だが、朝鮮にいた三成が淀君の懐姙のことを知ったのはいつごろであったろうか。
秀吉は天正十八年小田原攻めの時にも書を北政所に送って、淀君を陣中に招いているが、今度の出陣にも名護屋の行営へ連れて行ったのである。
そうして豫め主人三成としめし合わせ、或る日の合戦に戦場に於いて行くえ不明になったかの如く取りつくろい、人知れず陣中を脱出して釜山より名護屋に帰り、ついで京都に上ったのであるが、その途中から盲人の真似をし始め、琵琶を背負うて京上りをするめくら法師になり変ったのであると云う。
だが、朝鮮にいた三成が淀君の懐姙のことを知ったのはいつごろであったろうか。
秀吉は天正十八年小田原攻めの時にも書を北政所に送って、淀君を陣中に招いているが、今度の出陣にも名護屋の行営へ連れて行ったのである。