その外彼の常軌を逸した残忍な行為や婬蕩な振舞について、機敏な三成は逐一報告を受け取っていたので、さてこそ腹心の侍にそう云う密旨を授けたのであろう。
左衛門尉が京へ上った頃は、何卒淀殿が男子をお生みなされるようにと、方々の寺々で高僧たちがかず/\の大法秘法を修し、就中変成男子の法を盛んに行っている最中であった。
按ずるに淀君はそれより五年前、天正十七年五月二十七日に一子鶴松を生んだことがあったが、その子は僅か三歳を以て早世したので、今度のお産に対する太閤の焦心と天下の期待とが大きかったことは察するに足りる。