おとしは三十路を一つ二つこえていらっしゃいましたけれども、田舎そだちの方々とは違いまして、やんごとない雲上の女房でいらっしゃいましたから、姿かたちの美しさ、お顔の色の雪のような白さは、二十ほどにしか見えぬくらいでござりました」
と、そう云って、眼瞼の中にある幻を追いかけるような風情をする。
此の話の中にある御台様と云うのは、関白秀次の正室であった一の台の局のことで、後の法号は徳法院誓威大姉、瑞泉寺所蔵の畫像には行年三十餘とあるが、太閤記に記す三十四歳が本当だとすれば、順慶の藪原撿挍が始めて伺候した頃には三十二歳だったであろう。