此の話の中にある御台様と云うのは、関白秀次の正室であった一の台の局のことで、後の法号は徳法院誓威大姉、瑞泉寺所蔵の畫像には行年三十餘とあるが、太閤記に記す三十四歳が本当だとすれば、順慶の藪原撿挍が始めて伺候した頃には三十二歳だったであろう。
父は太政大臣実兼十一世の孫菊亭右大臣晴李で、今の菊亭侯爵家の祖先に当り、その邸が今出川にあるので「今出川殿」と号した。
ところで、順慶も次に語っているように、此の夫人には連れ子が一人あったのであるから、秀次に嫁したのが初婚でなかったことは明かである。
此の話の中にある御台様と云うのは、関白秀次の正室であった一の台の局のことで、後の法号は徳法院誓威大姉、瑞泉寺所蔵の畫像には行年三十餘とあるが、太閤記に記す三十四歳が本当だとすれば、順慶の藪原撿挍が始めて伺候した頃には三十二歳だったであろう。
父は太政大臣実兼十一世の孫菊亭右大臣晴李で、今の菊亭侯爵家の祖先に当り、その邸が今出川にあるので「今出川殿」と号した。
ところで、順慶も次に語っているように、此の夫人には連れ子が一人あったのであるから、秀次に嫁したのが初婚でなかったことは明かである。