派手好きな太閤のことであるから、萬事の結構に善を盡し美を盡すのは今に始まった訳ではないが、大明国との和議が整いかけて、凱陣の士卒が纔かに休養する暇もなく、又もや斯かる普請を起して諸国の人馬を労すると云うのも、つまるところはお拾に対する愛情の結果であると思えば、彼には伏見の城と云うものが、つい鼻の先に一敵国が現じたようにも映ったであろう。
そうしてそれに刺戟された彼は、我が国の歴史に例の少い暴君性を発揮して、次第に嗜虐的になったのであろう。
聞書の主人公順慶は、内心秀次を庇う気があるのでその暴状を事々しくは述べ立てゝいないが、それでも次のように語るのである。