「それから、あの吉野山のお花見から一年の後、文禄四年二月の中ごろのことでござりました。
或る日聚楽の御城から熊谷大膳どのを殿下へお使者に立てられまして、伏見の里の秋の月は古より歌に名高うござりますが、毎年のことでござりますから、今年の秋は趣向を変えて北山へお越しなされませ、廣沢の池の眺めも伏見とは違うて、又格別でござります。
なおその折は若君のお慰みに、八瀬小原にて狩くらを催すことにいたしましょうと、そう云う御口上を述べられましたところ、殿下も斜めならずお喜び遊ばし、よいことを思いついてくれた、何事も関白の心任せに致すから、帰ってその由を伝えてくれと仰っしゃって、御太刀一腰、御呉服あまた下されましたので、大膳殿もたいそう面目を施しまして、戻って来られたことがござりました。