なるほど、田中兵部殿のように無いことを有るが如くに述べ、否でも応でもお城の人々を謀叛人に拵え上げてしまいましたら、却って治部殿のお気に召したでござりましょうが、左様なことは愚僧の心が許しませなんだ。
されば最初の一年ほどは、御謀叛の形跡は少しも見えませぬ、臣下の中に一人や二人不心得者がおるとしましても、関白殿にそのようなお考は露ほどもござりませぬと、いつもそう申し上げていたのでござります。
すると或る時、たしか文禄三年の秋ごろでござりましたろうか、夜中ひそかに参れと云うお使いがござりましたにつき、人目を忍んで治部殿のお邸へ参上いたし、朝鮮以来絶えて久しき御挨拶を申し述べましたところ、君は聊か御不満のお顔つきで、いかに、左衛門尉、そちを見込んで間者の役目を云いつけたのに、あれからもはや二年近くも聚楽の様子を窺いながら、いつも/\判で捺したように、怪しい素振はないと云う注進ばかりを寄越すのは、しかとそれに違いはないかと仰っしゃいますので、いかにも、某、及ばずながら気を配ってはおりますけれども、今日までのところでは疑わしいことはござりませぬ、世間の人は何のかのと善からぬ沙汰をいたしますが、関白殿はそのようなお人柄とは覚えませぬと、申したことがござります。