白井備後と粟野杢助は鞍馬の奥の方へ立ち退き、ひそかに上意を待っていたところへ、徳善院の方から小池清左衛門と云う者を使に寄越した。
関白殿の御事、北の政所より仰せられ、御命ばかりはお助け申し上げようと様々にお骨を折られましたが、如何にしてもお赦しが出ず、検使のために福島左衛門大夫、福原右馬助、池田伊豫守の三人をお遣わしになりました、急ぎ最期の御用意をなされい、思し召し置く事も候わば、此の者に仰せ聞けられ候え、後々の御孝養は懇に沙汰を致すでござろう、と云う口上である。
両人は清左衛門に対面し、法印殿のお心づけ、過分に存じます、つきましては、迚ものことにお願いがあるのでござりますが、常日頃から頼んでおりまする上人の方へ連れて行って下さる訳には参りますまいか、御辺の御一存を以て左様に計ろうて戴けましたら、此の上もない仕合わせでござりますがと云うと、清左衛門は快く承諾し、いと易いことでござります、何事に依らず聴き届けて上げるように、法印から申し付かっておりますと云って、両人を古い釣輿に乗せて運び出したが、白井は大雲院のお寺で、杢助は粟田口の鳥居小路と云う者の家で、同じ時刻に腹を切った。