尚又謀叛に組した廉で遠流に処せられた人々は、延寿院玄朔、紹巴法眼、荒木安志、木下大膳亮等であったが、それについて太閤記は云う、「たとひ秀次公謀反を思召立給ふ事有共、かやうの人々を其使におぼし寄給はんや、各御反逆之事聊以不奉存旨申上度思ひ侍れ共、長盛三成が威に恐れて取次人もなく、奉行人指図に任せて、配所に赴にけり」と。
又国々へお預けになった人々は、一柳右近将監が江戸大納言へ、服部采女正が越後宰相へ、渡瀬左衛門佐が佐竹右大夫へ、明石左近が小早川左衛門佐へ、前野但馬守と長子出雲守とが中村式部少輔へ、等で、後に玄朔と紹巴と安志の三人は赦免されたけれども、他は悉く切腹仰せ付けられた。
太閤記は又云う、「此謀反之事、虚共実共終にしれずして、方々におゐて自害有し人々、一人も及白状、某は不存、かれは存知たると云人もなく、ぬれ衣を着て旅に赴きぬる事、宿業の程あさましと観念し終にけり、あはれなりし事共なり」と。