それから少し歩いてみますと、成る程とある松の木の下に人を荼毘した所がありますので、じっとこらえて一旦は通り過ぎましたものゝ、又心を返して思いますのに、発心をして家を出た時こそ妻子を振り捨てゝ行ったけれども、今は死んでから三日にあたっている、その荼毘所を見ながら行き過ぎてしまうと云うのは無道ではないか、知らなければ仕方がないが、たま/\法師の身となって通りかゝったのに、陀羅尼の一遍も回向しないのは邪慳と云うものだ、その上佛の利益にも背き、亡者の恨みもあるであろう、これは帰った方がよいと悟って、戻って来て見ましたら、木かげに二人の幼い者がうずくまっているではありませんか。
あれこそ我が子よと思いながら、上﨟たちはどうしてこんな所にいらっしゃるのですかと尋ねますと、その返事はしないで、あゝ嬉しいこと、今日はお母さまがお亡くなりになって三日目になるものですから、今わたしたちはこゝでお骨を拾っていましたら、ちょうど折よく御僧がお通りになったのです、ほんとうに嬉しゅうございます、恐れながら、お経を遊ばして下さいますなら御利益でございますがと、掻き口説きますので、その時の思いはさらに夢ともうつゝとも、たとえようもありませなんだが、辛くも気を取り直してその幼い者たちをつく/″\と見ますのに、姉は九つ、弟は六つになっていまして、さすがに下﨟の子供には似ず、すがたかたちもいたいけなさまをしております。
親子恩愛の道ですから、すぐにも抱きついて父よと名のろうと思う心は百たび千たびも起りましたけれども、いや/\、そんな弱いことでは今までの難行苦行が無になってしまい、佛道に入ることも出来なくなろうと、怺えていましたつらさを、どうぞ思いやって下さいまし。