文筆家の自由な創作活動が或る権威によつて強制的に封ぜられ、これに対して一言半句の抗議が出来ないばかりか、これを是認はしないまでも、深くあやしみもしないと云ふ一般の風潮が強く私を圧迫した。
江戸時代の作者たちが時の要路の役人の忌避に遭つて手錠五十日とか禁錮百日とか云ふやうな刑を加へられたことはかねて聞き及んでゐたが、私は手錠も禁錮も科せられたわけではなかつたけれども、昔の作者たちの鬱屈は人ごとならず察せられたことであつた。
但しその時の当局の話では活字にして売り広めなければよいといふことであつたので、滞りがちの稿をついでどうやら上巻に予定した枚数に達したのを機会に、知己朋友に頒つことを目的とした私家版「細雪」を上木したところ、これがまた取締当局を刺戟し、兵庫県庁の刑事と云ふものゝ来訪を受けたことがあつた。