未亡人は又、お若いと云えば妙子さんも実にお若い、始めて妙子さんが遊びに来られた時はこのお方(と、悦子を指して)よりちょっと大きいぐらいであったが、二度目に来られた時が大正十四年だったとすると、あの時分に十五六ぐらいにおなりだったであろうか、と云い、我が眼を疑うようにしばだたきながら、こうしておられる妙子さんを見ると、あれから今日までに十何年の星霜を経ていると云うことが信じられないで、不思議な気がする、さっき私が妙子さんを悦子さんと間違えたのは粗忽だけれども、今つくづくとお目に懸って見ても、あの時分に比べてそんなに年を取られたような様子はない、せいぜい取って一つか二つ、どう見ても十七八の少女としか思えない、などと云った。
お三時に、と云って冷麦の丼が運び込まれたあとで、幸子だけが打ち合せのために母屋の方の一と間へ呼ばれて、未亡人と対坐したが、正直のところ、彼女は五分か十分も話を聞いているうちに、早くも今日の招待に応じたことを後悔する念が湧いた。
未亡人の説明の中で彼女が最も意外の感を抱いたのは、この間から一番重要な疑問になっていた点、―――先方の人物性行について、未亡人が何も知らないばかりでなく、その沢崎家の当主なる人と、まだ会ったこともないのだ、と云うことであった。