と、その後先方から何の挨拶も来なかったので、気がないものと思っていたところ、此方の書面に基づいて内々調査を進めていたものと見えて、それから二箇月程立って、先達返書が来た。
―――未亡人はそう云って、これがその手紙なのですがと、出して見せたので、幸子が読むと、これも至って短文で、爛柯亭様御在世中は一方ならぬ御高誼に与ったことであるが、貴女様には今日まで拝芝の栄を得ず、失礼致しておる、然るところ先般は寔に御親切なる御書面を戴き、御懇情に対し御礼の言葉を知らない、早速御返事可申上筈の処、俗務繁多にて延引仕り何とも申訳がないが、では折角の事であるから、そのお方にお目に懸らして戴こうと存ずる、当方は、両三日前にお申越し下されば、大体土曜日曜ならばいつにても都合がつく、猶詳細は電話を以てお打ち合せ下さっても結構である、と、巻紙に候文で認めてあり、書体、文体等も型通りで、平凡の二字に尽きていたが、幸子はそれを読まされたあと、暫く唖然として開いた口が塞がらない思いであった。
いったい、旧家と云うからには、沢崎家にしても菅野家にしても、普通以上にこう云う場合の習慣を重んじそうなものであるのに、これはどうしたことなのであろうか。