間際になって、抜討ち的に決定してこう云って来るのは、穏便を欠きはしないであろうか。
案内状の内容は、父の十七回忌と母の二十三回忌の法要を営むに付、来る九月廿四日の日曜日午前十時に下寺町善慶寺へ御来臨願たく、と云う簡単な文面のものであるが、それが届いた数日後に姉は始めて電話を懸けて来て委しい話をした。
―――先日貞之助さんが見えた時には、そんなつもりはなかったのであるが、かねてから兄さんは、国民精神総動員などが叫ばれている今日、法事などに無駄な金を費す時代ではなくなったから、お父さんの年忌も今年一緒にやってしまったら、とは云っていたのであること、そう云ってもこの間迄は本当にそれを実行する気はなく、案内状もお母ちゃんの年忌だけのことにして書きかけたのだけれども、欧洲戦争が勃発してから又兄さんの考が変り、日本もいよいよ大変なことになるかも知れない、日華事変が三年越し片付かないところへ持って来て、悪くすると世界的動乱の渦の中へ捲き込まれるであろう、われわれも一層これからは緊縮しなければならない時だと云い出して、俄にお父さんのを合併することにしたのであること、案内状も、今度は印刷にするほど大勢の人を招くのではないので、一々書くことにしたのであるが、そんな訳で中途で変更になったので、銀行の若い人達を頼んで大急ぎで書き換えて出したのであること、従って親類の誰彼に相談する暇もなかったけれども、今度はこの前のような叱言を云う人もないであろうと思っていること、あたしも今度は進んで兄さんに賛成したのであること、―――等々、姉はひとくさり弁解やら釈明やらをした後で、あたしと雪子ちゃんは、正雄と梅子を連れて廿二日の「つばめ」で立って、そちらに泊めて貰うことにする、兄さんと輝雄は土曜日の夜立って日曜の朝着き、その日の夜行で直ぐ引き返すことにしたので、何処の厄介にもならないで済ませる、あたしは二年ぶりの大阪であるし、留守の方もお久どんがいてくれるからまあ安心だし、又いつ行けるやら分らないから四五日は泊っていたいけれども、遅くも廿六日には帰らなければ、と云うので、当日のお昼御飯はどうするのん?