などと問うても要領を得ず、両親のあるなしでさえが、さあ、どうだったか知ら、と云うような答なので、だんだん聞くと、亡くなった夫人が丹生夫人の趣味の友達、―――﨟纈染めの講習会で親密になったと云うだけの関係で、あたし、お宅へは余り伺ったことがないのよ、だから旦那さんには奥さんの生前に一度と、お葬式と一周忌の時にお目に懸っただけじゃなかったか知ら、………今度のことで昨日お会いしたのが四度目ぐらいよ、と云うのであった。
でもあたし、死んだ奥さんのことなんかいつ迄くよくよ考えていらしったって仕様がないじゃありませんか、あたしがとてもいいお嬢さんを御紹介しますから出ていらっしゃいって云ってやったら、それでは御一任しますから何分宜しくって云うことなんですの、ですから蒔岡さんの方も是非「うん」と仰っしゃって下さらなけりゃ、―――と、相手次第で大阪弁と東京弁とを完全に使い分ける夫人であったのが、この頃は東京弁ばかりにしているのか、この前会った時もそうであったが、今日は一層早口な江戸っ児でまくし立てるのであった。
丹生さんひどいわ、―――と、幸子もいくらか東京弁に釣り込まれながら、―――だってあなた、あたしが附いて来たらいけないって仰っしゃったんだそうですね、と云うと、それは井谷さんが云ったのよ、あたしもそれに賛成したには違いないけど、云い出したのは井谷さんなんですから、怒るなら井谷さんに怒ってよ、と、丹生夫人はそう云ってから、そうそう、そう云えばこの間陣場さんの奥さんに会ったら、あなた方の噂をしていらっしゃったわ、陣場さんもお世話なすったことがあるんですってね、と云うのであった。