始めた時刻が早かったし、橋寺が多忙らしいのを察して貞之助もあっさり切り上げるようにしたので、食事が済んでしまっても障子の外にはまだ早春の空が暮れ残っていたくらいで、対坐した時間は二時間足らずだったであろう。
橋寺は貞之助が密かに期待したような「話」があった訳ではなく、全く儀礼的な意味だったらしいので、漫然たる雑談を取り交したに過ぎず、ただその間に、貞之助の問いに答えて、元来自分は内科が専門であって、独逸では専ら胃鏡の使い方を研究したのであること、それが帰朝後ふとしたことから今の会社に関係するようになり、周囲の事情から遂に医者を止めて薬屋さんに転業せざるを得なくなったのであること、今の会社は、社長は別にいるのだけれどもめったに出社せず、実際の仕事は殆ど自分一人でやっているようなものであること、地方へ新薬の売込などに行くと、相手が自分を医者と知らずにかかることがあるが、薬の説明をするうちにそれが分って来て狼狽し出すのが滑稽であること、などを語った。
貞之助は、此方がそう云う質問をするのに先方からは蒔岡家のことにも雪子のことにも一向触れてくれないので、何となく云い出しにくい思いをしながら、食後の果物が出た時分にようよう気を取り直して、義妹がああ見えても決して陰気な性質の女ではないことを洩らしたが、それも、弁解がましく聞えないように、外の話の中へちょっとばかり織り込んだ程度であった。