これは幸子が、卒業年度は違うけれども櫛田医師が同じ阪大の出身であることに心づき、橋寺のことを調べてくれるように、かねて頼んで置いたからであったが、いつも忙しい櫛田医師は、このまま失礼しますと外套を着たなりで応接間へ通り、椅子にも掛けず立ちながら要領を話し、あとは此処に書いてありますから御覧下さいと、ポッケットから紙きれを出して幸子に渡すと出て行った。
その報告の内容は、幸い櫛田医師の同窓の親友に橋寺と昵懇な者があったとやらで、可なり行き届いていて、当人のことや国元のことは素より、娘の性質が柔順であることや女学校の評判も悪くないことまで一層よく分り、貞之助が今迄に聞き集めた事実を裏書するようなものであったが、櫛田医師も帰りがけに、この人物は僕も極力推奨しますと、一言附け加えたくらいであった。
今度こそ雪子ちゃんに運が向いて来たのだ、何とかしてこれを纏めなければ、―――貞之助はそう妻にも云って、少し非常識になるけれども、思い切って巻紙五六尺ばかりの手紙を書いた。