尚又、病人の容態は精々頻繁に知らせてほしいのであるが、奥畑方には電話がなく、此方の電話も、貞之助や悦子のいる時は工合が悪いので、毎日少くとも一回午前中に懸けて来てほしいこと、それには近所の店屋の電話を借りる便宜があったとしても、なるべくそれを避けて公衆電話を使うようにすること、等をも云い含められて行った。
幸子たちは、お春の出かけたのが午後だったので、その日一日は電話が懸って来る筈もなく、ひとしお容態が案じられて、明くる朝が待ち遠であったが、懸って来たのは翌朝の十時過ぎであった。
幸子は夫の書斎の方へ切り換えて聞いたが、電話が遠く、話中にたびたび切れるので、僅かなことを聞き取るにも骨が折れた。