それはどうしても死期が近づいた相のように思えて、見ていると恐くなって来るのであったが、昨日はまだあんな風に涙を浮かべて物を云ったりする元気があったのに、今日はさっきも奥畑と姉達が、附いて行く、いや止めてくれ、………で、外の廊下で揉み合っている間じゅう、当人は何も関わりがないかのように空ろな眼を据えているばかりであった。
昨日の電話で、蒲原院長は特別室を用意して置くと云うことであったが、妙子が入れられた部屋と云うのは、病院とは廊下で繋がって別棟になっている、金のかかった純日本建築の座敷であった。
もとこの一と棟は院長の住宅として建てられたのであるが、去年蒲原はここから十丁あまり離れた住吉村観音林に、某実業家の邸宅が売りに出たのを買い取ってその方へ住居を移し、この建物を折々の休憩用に当てていたのを、今度妙子を預かるについて一つは隔離の目的にもかなうところから、超特別室として提供してくれたと云う訳で、客間にしていた廻り縁附の八畳に四畳半の二た間続きを病室に当てて、附添人の便宜のために台所や風呂場までも自由にお使い下さいと云ってくれたのであった。