それから、少し云いにくそうにして、若旦那はこの十年来こいさんのためにあらゆる犠牲を払って来ている、と云い、奥畑が長兄から勘当され、出入りを差止められるようなことを仕出来したのも、原因は妙子にあると云う意味を、非常に婉曲にではあったが、だんだん仄めかすようにした。
婆やが話したことの中でお春が一番意外に感じたのは、ここ数年来、妙子は大部分奥畑の経済的支持に依って生活していたと云う事実で、分けても去年の秋から此方、甲麓荘でアパート暮しをするようになってから以後は、殆ど毎日、朝早くから、と云うのはつまり朝飯を食べる前から、奥畑方へ遊びに来、三度の食事を西宮の家で済まして、夜おそく、ただ寝泊りをするためにだけアパートへ帰った、だから独力で自炊生活をしていたなどと云うものの、実際は奥畑の家に寄食していたと同様で、洗濯物のようなもの迄も皆運んで来て婆やに洗わせるか、此方からクリーニングに出すようにした、二人が外でさまざまな娯楽に費したお金は、孰方が負担したかよく分らないけれども、いつも奥畑の紙入には百円か二百円這入っていたものが、妙子と出かけて帰って来ると、一と晩で空っぽになっていたところを見ると、これも大概彼が奢っていたものと推定される、従って妙子が月々自分の貯金から払っていたものがあるとすれば、甲麓荘の部屋代ぐらいなものであろう、と云うのであったが、そう云われてもお春が何だか合点しかねる顔つきをしているので、こんな話が出たついでだから、と、婆やはここ一年ばかりの間のいろいろな請求書や領収証などを奥から持って来た。
そして、妙子が寄食するようになってからと、それ以前とでは、いかに毎月の経費に夥しい相違があるかを説明するのであったが、なるほど、瓦斯代、電気代、自動車代等から始めて八百屋魚屋等の払いに至るまで、去年の十一月以後は急に驚くほど勘定が嵩んでおり、妙子がこの家でどんなにしたい三昧の贅沢をしていたかが想像出来るのであった。