駱駝の方は、表と裏と色の違う織り方になっている、厚くて而も大変軽い地質のもので、表は茶、裏は非常に花やかな赤であったが、当時妙子は、この外套は三百五十円かかった、仕方がないから派手で着られなくなった着物を二三枚処分して払った、と云って、得意そうに姉たちやお春に見せびらかしたものであった。
お春はその頃蘆屋の家を追い出されて自活するようになった妙子が、それにしてもそんな贅沢をしてよいのかと思ったことを今も忘れないのであるが、ほんとうは奥畑に作って貰ったのだとすれば、いかにも合点が行くのであった。
婆やは、私がこんな話をするのも、決してこいさんを悪く云うつもりなのではない、ただ若旦那がこいさんの機嫌を取るためにはどんなに一生懸命であるかと云うことを、申しているのである、お耻しい話をするようだけれども、もともと若旦那は奥畑家の坊々だと云っても三男坊のことであるから、そんなにお金が自由になる身分ではない、それもお家さんの存生中はまだどうにかなったけれども、今では全く水の手が切れてしまった、去年勘当された時に母屋の旦那(長兄のこと)から僅かな涙金を貰ったのが唯一の財源で、その元金を片端から少しずつ崩して行ってようよう今日まで凌ぎを付けて来たのであるが、こいさんを喜ばすことで夢中になっている若旦那は、後先見ずに濫費するので、それももう長くは続きそうもない、そうなったらなった時で、どうにかなると云う考が若旦那にはあるのだろうけれども、それならそのように、心を入れ替えて真人間になったと云うところを見せるのでなければ、親戚の人達の同情が集まらない、私もそれを心配して、今のように毎日ぶらぶらしていないで、早く勤め口でも見付けて、たとい百円の月給でも稼ぐようになさいませ、と云うのであるが、何としてもこいさんのことで頭が一杯になっているので、とても外のことには気が向かない有様である、ついては私が考えるのに、若旦那を正道に引き戻すにはこいさんを奥さんに持たして上げるより外に方法はない、この問題はもう今から十年前、あの新聞の事件以来の懸案で、お家さんや母屋の旦那はあの当時不承知であったし、私も不賛成を唱えた一人だったけれども、今から思うと、あれはやっぱり許して上げた方がよかったのだ、そうしたら若旦那だって脱線なさらず、今頃は幸福な家庭を持って真面目に働いていたであろう、と、そう云うのであった。