翌朝お春は先日妙子に怒られたので、パンでもあるとよいのでございますが、生憎切らしましたのでと、わざと紅茶と果物だけを出すと、奥畑は悠々とそれを食べて出て行ったが、その数日後に妙子は退院して甲麓荘の部屋に帰った。
尤も、まだ暫くは安静を要するとのことだったので、その当座はお春が毎日蘆屋から通い、朝早くから夜遅くまで詰め切って食事その他の世話を焼いたが、そうこうするうちに花と云う花は一重も八重も残らず散り、菊五郎は大阪を打ち上げて行ってしまった。
妙子がほんとうに出歩けるようになったのは五月の下旬からであったが、幸いなことにいつからともなく貞之助の態度が軟化して、公然「許す」と迄は云わなかったけれども、彼女が出入りすることに最早や異議を挟まない意向であることを明かにしたので、妙子は六月中殆ど日に一度は蘆屋へ来て食事をし、せいぜい滋養分を摂取して回復を早めることに努めた。