妙子がほんとうに出歩けるようになったのは五月の下旬からであったが、幸いなことにいつからともなく貞之助の態度が軟化して、公然「許す」と迄は云わなかったけれども、彼女が出入りすることに最早や異議を挟まない意向であることを明かにしたので、妙子は六月中殆ど日に一度は蘆屋へ来て食事をし、せいぜい滋養分を摂取して回復を早めることに努めた。
そんな間に、欧洲の戦争は驚天動地の発展を遂げて、五月には独軍が、和蘭陀、白耳義、ルクセンブルグ等に進撃してダンケルクの悲劇を生み、六月には仏蘭西が降伏してコンピエーニュで休戦協定が成立すると云う有様であった。
それにつけても、シュトルツ一家の人々はどうしているであろう。