彼女はその草稿を持って翌日ヘニング夫人を訪ねて飜訳を依頼し、又数日後に大阪へついでがあったので、心斎橋筋の「みのや」へ行って舞扇を買い、それをクレプ・ド・シンの生地と一緒に小包便でハンブルクへ出した。
六月上旬の土曜日曜に、貞之助は留守を雪子に頼み、悦子をも彼女に預けて、幸子と二人だけで奈良の新緑を見に出かけた。
これは去年から今年にかけ、二人の妹の身の上に関する事件が代る代る起って来て、神経を休める暇もなかった妻を慰労するためでもあったが、それよりは、久振にほんとうに夫婦水入らずになって見たかったからであった。