彼女は、こう云う季節に山路を行くには何か虫避けに頭から被れるものを携帯すべきであったと思い、ショールを持って来なかったことを悔いたが、晩にホテルへ帰って町の薬屋までカルボールリニメントを買いにやると、そんな薬はございませんと云って、モスキトンを買って来た。
が、モスキトンでは利き目がないかして、夜に入ってからいよいよ痒く、一晩じゅう眠れなかったので、翌朝ホテルを立つ前にもう一度町へ使をやって亜鉛化オレーフを買って来させ、それを塗ってから出かけたが、上本町で真っ直ぐに事務所へ行く夫と別れて、ひとり蘆屋へ帰った幸子は、漸くその日の夕方に痒みが癒えて来たのを感じた。
と、夫はいつもの時刻に帰宅して、何と思ったか、ちょっと耳をお見せと云って、幸子をテラスの明るい所へ引っ張り出して疾患部を仔細に見、ふん、これは蚋やないで、南京虫やで、と云うのであった。