が、モスキトンでは利き目がないかして、夜に入ってからいよいよ痒く、一晩じゅう眠れなかったので、翌朝ホテルを立つ前にもう一度町へ使をやって亜鉛化オレーフを買って来させ、それを塗ってから出かけたが、上本町で真っ直ぐに事務所へ行く夫と別れて、ひとり蘆屋へ帰った幸子は、漸くその日の夕方に痒みが癒えて来たのを感じた。
と、夫はいつもの時刻に帰宅して、何と思ったか、ちょっと耳をお見せと云って、幸子をテラスの明るい所へ引っ張り出して疾患部を仔細に見、ふん、これは蚋やないで、南京虫やで、と云うのであった。
へえ、何処で南京虫にやられましたやろ、と云うと、奈良のホテルの寝台や、僕かて今朝はここが痒いと思うたら、ほら、と云って夫は二の腕をまくって見せ、これ、たしかに南京虫の痕や、お前の耳にかてこれが二箇所もあるやないか、と云うので、合せ鏡をして見ると、成る程それに紛れもなかった。