あの病気の時に幸子が見た、廃頽した、疲れ切ったような感じ、―――どす黝く濁った、花柳病でもありそうな血色、―――ああ云う風に皮膚が一遍たるんでしまっては、もうもとの溌剌さに立ち復ることは出来まいかと思えたのに、いつの間にか又活き活きとした、頬の豊かな近代娘になっていた。
でも貞之助が本家の手前を考えて、当分別居だけはしていた方がよい、と云うことだったので、矢張甲麓荘に寝起きしつつ、毎日大概半日は蘆屋で暮すようにしていた。
そして、前に彼女が使っていた二階の六畳が再び彼女に与えられたので、近頃は折々その部屋に閉じ籠って、日あたりのよい窓の下で一生懸命ミシンをかけていることがあった。