この人は、学習院を出て東大の理科に在学したこともあるそうであるが、中途退学して仏蘭西へ行き、巴里で暫く絵を習っていたとやら、仏蘭西料理の研究をしたとやら、いろいろのことを云うけれども、要するに、孰れも長く続かないで亜米利加へ渡り、何処だか余り有名でない、州立の大学へ這入って航空学を修め、兎も角もそこを卒業したのであることは確かである。
が、卒業後も日本へは帰らず、亜米利加の彼方此方を流浪して歩き、メキシコや南米へも行ったりした。
その間には一時国許からの送金が絶え、生活に困ってホテルのコックやボーイまでやったことがあり、その外にも、又油絵に戻って見たり、建築の設計に手を出して見たり、生来の器用と移り気に任せて実にさまざまのことをやったが、専門の航空学の方は、学校を出てから全然放棄してしまった。