が、卒業後も日本へは帰らず、亜米利加の彼方此方を流浪して歩き、メキシコや南米へも行ったりした。
その間には一時国許からの送金が絶え、生活に困ってホテルのコックやボーイまでやったことがあり、その外にも、又油絵に戻って見たり、建築の設計に手を出して見たり、生来の器用と移り気に任せて実にさまざまのことをやったが、専門の航空学の方は、学校を出てから全然放棄してしまった。
そして今から八九年前に帰朝してからも、これと云った定職はなくぶらぶら遊んでいたのであるが、数年前から折々道楽半分に、友人が家を建てる時にその設計をしてやっていたところ、それが案外評判がよく、追い追いその方面の才能を認める人が出て来るようになった。