それと云うのが、氏には若い時代に父子爵から分けて貰った財産があったので、その金で半生の放浪生活を続けて来たのであるが、浪費するばかりで殖やすことを知らない人なので、最早や大部分を遣い果たして、剰すところ幾何もない有様なのである。
だから建築屋になろうとしたのも、遅蒔ながらその方で自活の道を立てようと云う意図があった訳なので、それもこの時局でさえなかったら巧く行きそうだったのであるが、不幸にして目下のところ一頓挫を来たしているのである。
でも、華冑の子弟によくある型の、交際上手な、話の面白い、趣味の広い人で、自ら芸術家を以て任じている天成の呑気屋さんであるから、当人は一向そんなことを苦に病んでいない。