―――今光代さんは自分のことを京都人であると云われたが、御牧の家は祖父の代から東京小石川に本邸を移したので、自分は東京生れであること、自分の父の代までは純粋の京都人であるが、母であった人は深川の生れだったと云うことであるから、自分の体には京都人の血と江戸っ児の血とが半々に流れていること、左様な次第で、自分は若い時分には京都の土地に何等の興味をも感ぜず、寧ろ欧米の生活に憧れを寄せていたのであったが、近頃になって祖先の地に対するノスタルジアのようなものが萌しつつあるのを覚えること、そう云えば自分の父なども、老年に及んでから京都を恋しがるようになり、遂に小石川の本邸を捨てて嵯峨に隠棲してしまったのであるが、それを思うと、自分も何か宿命的なものを感じること、趣味の上にもその傾向が現れて来て、自分はだんだん古い日本の建築のよさが分るようになって来たこと、で、自分は将来時機を待って再び建築屋になるつもりであるが、それまでに出来るだけ日本固有の建築を研究して置き、今後の設計には日本的なものを大いに取り入れたいのであること、自分はそれやこれやを考え、事に依ったら京阪地方に職を求めて彼方で暫く生活した方が、研究のために便利ではないかと思っていること、そればかりでなく、他日自分が建ててみたい住宅の様式は、東京よりも阪神地方の環境に調和するような気がするので、大袈裟に云えば、自分の将来は関西にあるとさえ思っていること、―――そして御牧は、もし京都に家を持つとすれば何処を選ぶべきであろうかと尋ねるので、幸子がそれについて意見を述べ、嵯峨のお父様の御別邸と云うのはどの辺におありになるのでしょうか、と云うようなことから、京都に住むなら嵯峨辺か、南禅寺、岡崎、鹿ヶ谷方面に限ると云うような話になり、つい夜が更ける迄しゃべりつづけた。
その間に御牧はウィスキーの角罎をひとりで三分の一程平げて猶自若たる有様であったが、それでも酔いが循るにつれて剽軽になり、時々奇抜な警句を吐いて皆を笑わせた。
殊に光代とは好い相棒であるらしく、盛んに辛辣な舌戦を交えるのが、まるで漫才を聞いているようなので、幸子たちは昼の疲れをも忘れ、すっかり睡気を覚まされてしまったが、あ、大変だ、電車がなくなる、と、慌てて御牧が立ち上るのに続いて、あたしも一緒に、と、光代が連れ立って帰って行ったのはもう十一時近くであった。