歌舞伎座ではお互の席が離れているために懇親を深める機会はなかったが、それでも食堂では一緒であったし、五分か十分の幕間にも、どうです、廊下へお出になりませんかと、御牧がわざわざ連れ出しに来ると云う風であった。
そして、ハイカラなことにかけては趣味の広い彼であるが、歌舞伎の知識は皆無です、と自分で白状している通り、旧劇のことは一向不知案内らしく、長唄と清元の区別さえ付かないことを曝露して、光代に冷やかされたりした。
井谷は幸子たちが明日の朝の急行を選んだと聞いて、今夜がいよいよお名残でございますね、わたくしもよい置土産が出来て嬉しゅうございます、いろいろお打合せして置きたいこともございますが、いずれ光代が蘆屋の方へ御連絡申上げることと存じます、と云っていたが、芝居が跳ねると、その辺まで歩こうじゃありませんか、と御牧が云い出して、尾張町の方へ六人がつながって行く途々、幸子と二人少し離れて歩きながら、御牧氏がすっかり乗り気になっていることは御覧の通りであるが、国嶋氏夫妻も昨夜お嬢さんにお会いしてから、御牧氏以上に惚れ込んでいること、ついては、なるべく来月中に、御牧氏が西下して先ず蘆屋のお宅を訪い、御主人にお目に懸るつもりであること、そしてお宅様の御内諾が得られれば、国嶋氏から御牧氏の父子爵に話して貰う段取りになるであろうこと、などを手短かに語った。