そして、貞之助と向い合うと、暫くもじもじしていたが、急に哀れっぽい顔をして、今朝のお話を伺ってはもうきっぱりと断念するより仕方がないと思いますが、ただ、十年来の恋人であった人と別れなければならないのは、云うに云われない淋しさであることを察して戴きたいのです、おまけに僕は、多分御承知かと思いますが、こいさんのことが原因で、兄や親戚から見放されてしもうて、この間迄はそれでもささやかな借家住まいをしていたのですが、今ではあなたも御覧の通りの汚いアパートに独身生活をしているような始末です、これでこいさんにも捨てられるとなると、僕は今日から天にも地にも本当の独りぼっちになるのです、と、いかにも芝居じみた口調で云い、今度はニヤニヤ薄笑いを浮かべながら、それで、こんなことは申し上げたくないんですけれども、実は僕、日々の小遣いにも差支えているような次第なんで、まことに申しにくいんですが、前にこいさんに少しばかり用立てたものがありますのを、この際返して戴く訳には行かんでしょうか、と、そう云いながらさすがに赧い顔をして、いや、返して戴くなんと云うつもりで御用立てしたのではありませんし、困っていなければこんなお願いはしないのですが、と云うのであった。
さあ、そう云うものがありますなら、お返しするのが当然ですが、どのくらいの額でしょうか、と云うと、それがはっきりいくらと云う風には云えないのでして、こいさんに聞いて下されば分りますが、と云って、まあ二千円も戴ければ、と云うので、貞之助は一遍妙子にたしかめて見てから、とも思ったものの、手切れ金と口止め料にそれだけ払うのだと思えば高くはない、却って後がさっぱりすると考え、それでは只今差上げましょうと、その場で小切手を書いて渡して、何卒お願いしました件、妙子の妊娠を極秘にして置いて戴く件は宜しくお含みを、と云うと、それは分っていますから決して御心配なく、と云って帰って行った。
と云うような訳で、どうにかこうにか収まりが付いたのであった。