猶御牧家の希望として、華美な催しは避けるべきであるけれども、披露だけは家の格式にふさわしいものにしたいと云う申入れがあり、その趣旨の下に案内状が発せられることになったので、当日御牧側は、東京の親戚知友は勿論、関西方面からの出席者も相当の数に達する見込であったが、そうなると自然蒔岡側も、大阪の親戚を始め、名古屋の辰雄の実家種田家の人々なども、あの大垣の菅野未亡人までが出席すると云い出す有様で、近頃派手な披露宴になることが予想された。
ちょうどその時分、甲子園の家が漸く明け渡されたので、一日御牧も西下して蘆屋を訪い、幸子と雪子とを誘ってその家を検分に行ったが、それは阪神電車の北側数丁の所にある、わりに新しい平屋建てで、夫婦が女中一人を置いて暮すには手頃の広さであり、殊に百坪に余る庭の附いているのが何よりであった。
御牧は部屋の飾り付けやら箪笥鏡台の置き場所やらについて幸子たちと相談するついでに、新婚旅行のプランを打ち明け、結婚の当夜は帝国ホテルに一泊して翌朝京都に出発するつもりであること、京都では父の御機嫌伺いをするだけで、その日のうちに奈良へ行き、二三日間春の大和路を経廻りたいと思っていること、但しこれは自分だけの考なので、雪子さんには奈良なんぞ珍しくないのであったら、箱根熱海方面に変更してもよいのであること、などを語ったが、幸子は雪子に聞いて見る迄もなく、関東方面は結構ですから奈良にお連れになって下さい、あたし等は近くにいながら案外大和の名所古蹟には不案内で、妹などは法隆寺の壁画さえ見ていないのです、と云い、奈良の旅館は純日本式の家にしたいと云う御牧の注文に、それでなくてもホテルの南京虫に懲りている彼女は、月日亭を推挙したりした。