幸子は御牧から、こいさんはどうしておられます、と聞かれてぎっくりし、今日は見えませぬけれども元気でおります、と、さあらぬ体で答えると、御牧は事情を知っているのかどうか、それ以上は尋ねず、半日の滞在で去ってしまったのであったが、妙子はその頃、予定日が近づいたので、お春を連れて密かに有馬から神戸へ来、船越病院の一室に移っていた。
が、幸子は世間の眼を恐れて自分達は決して病院に近づかず、見舞の電話一つ懸けるのではなかったが、入院の翌日、夜更けにそっとお春が来て、胎児が逆児になっている旨を告げた。
院長の話だと、去年有馬へ行く前に診察した時は確かに正常の位置にあったのに、それから後、多分自動車で山越えなどをしたために倒さになったものと察せられる、それも今少し早く分れば正常の位置に戻せたのであるが、最早や分娩期が迫って胎児が骨盤に下りて来ている今日では、いかんともし難い、と云うことなのであるが、でも院長先生は、お産は必ず無事にさせて上げますから安心していらっしゃい仰っしゃって、請合うておいでになりますよって、心配なことはなさそうでございます、と、そう云ってお春は帰ったが、四月上旬と云う予定日が過ぎてもまだ何の知らせもなく、初産のことなので多少延引することは免れないらしいのであった。