妙子はそれから一週間後に退院したが、余りおおびらに出歩かなければ差支えあるまいと云う貞之助の意見に従って、三好の許へ引き取られることになり、兵庫の方に二階借りをして、その日から夫婦暮しを始めた。
そして、四月廿五日の晩に、貞之助たちや雪子に暇乞い旁〻、手廻りの物を運ぶために忍んで蘆屋へ訪ねて来たが、以前彼女の部屋であった二階の六畳に上って見ると、そこには雪子の嫁入道具万端がきらびやかに飾られて、床の間には大阪の親戚その他から祝って来た進物の山が出来ていた。
が、雪子より先に妙子が新所帯を持ったことは、誰あって知ろう筈もないので、彼女はこの家に預けて置いた荷物の中から、当座の物をひとりでこそこそと取り纏め、唐草の風呂敷包に括って、三十分ばかり皆と話してから兵庫の家へ帰って行った。