そして、四月廿五日の晩に、貞之助たちや雪子に暇乞い旁〻、手廻りの物を運ぶために忍んで蘆屋へ訪ねて来たが、以前彼女の部屋であった二階の六畳に上って見ると、そこには雪子の嫁入道具万端がきらびやかに飾られて、床の間には大阪の親戚その他から祝って来た進物の山が出来ていた。
が、雪子より先に妙子が新所帯を持ったことは、誰あって知ろう筈もないので、彼女はこの家に預けて置いた荷物の中から、当座の物をひとりでこそこそと取り纏め、唐草の風呂敷包に括って、三十分ばかり皆と話してから兵庫の家へ帰って行った。
お春は妙子の退院と同時に蘆屋へ戻ったのであったが、これも内々尼崎の親たちの方に見合いの話があるらしく、雪子娘さんのお輿入が済みましたら、二三日お暇を下さいますように、と云っているのであった。