彼女は妙子が他から説得されるのでなしに、自発的に奥畑を見限るようになってくれれば、それが一番望ましいことでもあるし、又妙子にはそのくらいの分別はあるものと信じてもいたので、なるべく気に触ることは云わないようにしながら、少しずつ遠廻しに尋ねただけなのであるが、それが果して本心なのか、負け惜しみの見せかけなのかははっきりしないけれども、妙子が表面何気ないようにして洩らす言葉のふしぶしを綜合すると、兎に角今のところでは、奥畑を見限る心などはなく、矢張近い将来に彼と結婚する気でいるものと判断するより外はなかった。
彼女に云わせると、自分は今日では啓ちゃんと云う人間が典型的な船場の坊々であって、ほんとうに取柄のない詰まらない男であることを誰よりもよく知っているので、今更そのことについて貞之助兄さんや中姉ちゃんに注意を受ける迄もない、尤も、今から八九年前、始めて啓ちゃんを恋した頃には、自分はまだ思慮の足りない小娘であったから、実は啓ちゃんがこんな下らない人間であるとは知らなかった訳であるが、しかし恋愛と云うものは、相手の男が見込みがあるからとか、下らないからとか云うことのみで、成り立ったり破れたりするものではあるまい、少くとも自分は、なつかしい初恋の人をそう云う功利的な理由で嫌いにはなれない、自分は啓ちゃんのような下らない人を恋するようになったのも何かの因縁と思うばかりで、後悔はしていない、ただ啓ちゃんと結婚するについて、心配なのは生活の問題である、啓ちゃんは株式組織になっている奥畑商店の重役をしているその外にも、結婚すれば長兄から分けて貰える筈の動産や不動産があるのだそうで、当人は世の中と云うものを甘く考え、一向心配していないけれども、自分はどうも、啓ちゃんと云う人はゆくゆく財産をなくす人であるような気がしてならない、現に今日でも、啓ちゃんは決して経済的に辻褄の合う生活をしているのではなく、毎月のお茶屋の勘定とか、洋服屋や雑貨屋の支払とか云うものが可なりの額に上るので、いつも母親に泣き付いて臍繰を融通して貰うのだと聞いている、が、それも母親の在生中だけで、彼女に万一のことがあったら、必ず長兄はそんな贅沢をさせてはおくまい、奥畑家にどれ程の資産があるにしても、啓ちゃんはその家の三男坊であって、既に兄の代になっているとすれば、そう多くの分け前を期待する訳には行くまいし、殊にその兄が妙子との結婚に余り賛成でないような場合には尚更である、仮に相当のものを分けて貰ったとしても、株に手を出すとか、人に欺されるとか、云うようなことに引っかかり易い性格であるから、しまいには兄弟たちにも見放されて食うにも困るような日が来ないとも限らない、自分にはどうもその不安があり、そうなった時に「それ見たことか」と世間の人に後指をさされたくないから、生活の点で全然啓ちゃんと云うものを当てにしないで行けるだけの、―――反対に、自分がいつでも啓ちゃんを食べさせて行けるだけの、―――職業を身につけ、初めから啓ちゃんの収入に頼らないでやって行きたい、自分が洋裁で自立することを思い付いた動機の一つは此処にある、と云うのであった。
尚又、幸子は妙子の話のうちに、彼女が最早や東京の本家へは決して引き取られない覚悟でいることも、ほぼ察しがついた。