貞之助は、こいさんがそこ迄考えているなら余計な差出口はしない方がよい、ただ自分達としては、こいさんのその決心が何処まで真剣でしっかりしたものであるかをもう少し見極め、これなら大丈夫と云う見通しが付いた上で、本家へ取次ぐなり何なり、積極的に尽力しよう、と云い、それで一と先ずその問題は治まったが、妙子はその後も依然として忙しい生活をつづけていた。
奥畑の話だと、最近の彼女は人形の製作に不熱心だと云うことであったが、彼女自身はそれを否定して、いや、自分は本当はもう製作をしたくないのだけれども、方々から注文があるのと、少しでも貯金を殖やしたいのと、生活費も相当に懸るのと、いろいろの理由でこの頃は前より一層働いている、自分としても早晩この仕事を止めるについては、一つでも多く立派な作品を作って置きたいと思って張り切っている、と、そう云っていた。
そしてその間に、毎日一二時間ずつ本山村の野寄にある玉置徳子女史の洋裁学院に通うばかりでなく、山村舞の稽古もずっと続けていると云う活動ぶりであった。