舞についても彼女は単に趣味で習うのではなく、将来は名取の免状を貰って、その方でも一人前の師匠として立てるようになりたい、と云った風な野心を持っているらしかった。
その時分、彼女は二代目山村さく、―――四代目市川鷺十郎の孫女に当るので俗に「鷺さくさん」と呼ばれた、大阪に「山村」を名告る舞の家筋が二三軒ある中で最も純粋な昔の型を伝えていると云われていた人の稽古場へ、大体週に一回ずつ通っていたが、その稽古場と云うのは、島の内の畳屋町の狭い路次を這入った芸者屋の二階にあった。
何分そう云う場所柄であるから、通って来る者の大半はくろうとで、しろうとの弟子、―――分けても堅儀な家の「娘ちゃん」と云っては数える程しかいなかったが、妙子はいつも舞扇と和服を入れた小型の鞄を提げて来て、稽古場の隅で洋服を和服に着換え、自分の番を待ちながらくろうとたちの間に交って相弟子の稽古を見物したり、顔馴染の芸者や舞妓に話しかけたりすると云う風なので、実際の歳を考えれば別に不思議はないのだけれども、おさく師匠を始め誰も彼女を漸く二十歳前後と見、それにしては落ち着きのある如才のないお嬢さんだと思っているらしいのを、妙子自身は擽ぐったく感じていた。