そこへ習いに来る弟子達は、くろうとでもしろうとでも、近頃だんだん上方の舞が東京の踊に圧倒されて行く傾向のあるのを慨き、このままでは衰微してしまう郷土芸術の伝統を世に顕わしたいと云う考から、山村舞に異常な憧れを寄せている人々が多く、特に熱心な支持者達は郷土会と云うものを組織し、神杉と云う弁護士の未亡人の家に集って月に一回お浚いをする例になっていたが、妙子はその会にも出席して、自分もしばしば舞うと云う程の打ち込み方であった。
貞之助や幸子達も、妙子が舞う時は雪子や悦子などを連れて見物に行ったものなので、自然その会の人々とも昵懇を重ねるようになったが、そんな関係から、妙子が幹事の人に頼まれたと云って、六月の会場に蘆屋のお宅を貸して戴けないでしょうかと云う話を持って来たのは、今年の四月の末であった。
実は郷土会も、去年の七月以来時局に遠慮して暫く中止していたところ、そう云う研究的な質素な集りのことであるから、この際自粛して催すのなら差支えないであろうと云う者が出て来、神杉さんのお宅も毎度のことで御迷惑であろうから、一遍場所を変えてみたらと云う意見なども現れたと云う訳なのであったが、幸子たちも好きな道なので、神杉さんのお宅のような十分な設備は整わないけれども、それさえお構いなかったらと、部屋を提供することにした。