妙子も当日は出さして貰って、「雪」を舞う。
と云うようなことが取り極められたので、五月に這入ると、妙子は週に二三回も稽古場へ通って練習を励み出したが、特に二十日から一週間のあいだ、おさく師匠の方から毎日蘆屋の家へ出向いて稽古を附けてくれた。
本年五十八歳になるおさく師匠は、元来が蒲柳の質であるところへ、腎臓の持病があり、めったに出稽古などに来てくれる人ではないのに、もう初夏の暑い日ざかりに、大阪の南の方から阪急電車で出向いて来てくれると云うのは、破格の好意なのであって、それは一つには、妙子が全くの「娘ちゃん」でありながらくろうとに交って精進する熱心さに絆されたせいもあるが、一つには山村舞の頽勢を挽回するには、従来のような引っ込み思案では駄目であることを悟るようになった結果でもあるらしかった。