でも病身なおさく師匠は、事実此処まで出かけて来るのが容易なことではなかったのであろう。
先ず応接間で一服しながら二三十分も幸子と世間話などをして、やがて徐ろに、テーブルや椅子を片寄せた食堂の板の間で稽古するのであったが、口三味線で地を唄いながら型を示すのに、息ぎれがしていかにも苦しそうに見える折があったり、昨夜から又少し腎臓の気があるのだと云って、むくんだ青い顔をしていることがあったりした。
しかしそのわりには元気にしていて、「わての体は舞で保ってまんねん」などと云って、そんなに病気を苦にしている様子もなかったが、謙遜のつもりか本気でそう思っているのか、「わては口下手や」と自分では云っていながら、実は非常な話術家で、人の真似をするのが殊に上手で、ちょっとした雑談の間にも幸子たちをひどく可笑しがらせた。