そして帰朝してから間もなく、今の場所に開業するに際しては、奥畑商店の主人、―――啓坊の兄が多少の資金を出してやったり、得意先を世話してやったり、いろいろ庇護を加えてやった縁故があるので、啓坊も贔屓にしていたところ、ちょうど妙子が自分の製作品を宣伝するために然るべき写真師を捜していたので、啓坊の紹介でこの男に頼むようになった。
で、それ以来、妙子の製作品の写真は、パンフレット用のも絵端書用のも、板倉が一手で引き請けて撮影していると云う訳で、板倉は始終妙子から仕事の注文を貰っている上に、広告もして貰っているようなものであったし、それに啓坊との関係も知っているので、妙子に対しても啓坊に対するのと同じような口の利き方をしてい、端から見ると主従のように思われることもあった。
貞之助たちと懇意になったのも、妙子との繋がりからであることは勿論で、亜米利加仕込みの、隙間があれば何処へでも喰い込んで行くと云った風な如才ない男であるから、今では此処の家庭へも何となく入り込んでしまった形で、女中たちなどにも満遍なく愛嬌を振り蒔き、今に御寮人さんにお願いしてお春どんをお嫁に貰うのだなどと冗談を云っていた。