いったい今年は五月時分から例年よりも降雨量が多く、入梅になってからはずっと降り続けていて、七月に這入ってからも、三日に又しても降り始めて四日も終日降り暮していたのであるが、五日の明け方からは俄に沛然たる豪雨となっていつ止むとも見えぬ気色であった。
が、それが一二時間の後に、阪神間にあの記録的な悲惨事を齎した大水害を起そうとは誰にも考え及ばなかったので、蘆屋の家でも、七時前後には先ず悦子が、いつものようにお春に附き添われながら、尤も雨の身拵えだけは十分にしたことだけれども、大して気にも留めないで土砂降りの中を学校へ出かけて行った。
悦子の学校は阪神国道を南へ越えて三四丁行ったあたりの、阪神電車の線路よりも又南に当る、蘆屋川の西岸に近い所にあって、いつもならお春は国道を無事に向う側へ渡してしまうと、そこで引き返して来ることが多いのであるが、今日はそう云う大雨なので、学校まで悦子を送り届けて置いて、帰って来たのは八時半頃であっただろうか。