が、それが一二時間の後に、阪神間にあの記録的な悲惨事を齎した大水害を起そうとは誰にも考え及ばなかったので、蘆屋の家でも、七時前後には先ず悦子が、いつものようにお春に附き添われながら、尤も雨の身拵えだけは十分にしたことだけれども、大して気にも留めないで土砂降りの中を学校へ出かけて行った。
悦子の学校は阪神国道を南へ越えて三四丁行ったあたりの、阪神電車の線路よりも又南に当る、蘆屋川の西岸に近い所にあって、いつもならお春は国道を無事に向う側へ渡してしまうと、そこで引き返して来ることが多いのであるが、今日はそう云う大雨なので、学校まで悦子を送り届けて置いて、帰って来たのは八時半頃であっただろうか。
途中彼女は、余り降り方が物凄いのと、自警団の青年などが水の警戒に駈け歩いているので、廻り道をして蘆屋川の堤防の上へ出、水量の増した川の様子を見て戻って来て、業平橋の辺は大変でございます、水が恐ろしい勢でもうすぐ橋に着きそうに流れておりますなどと語っていたが、それでもまだそんな大事に至ろうとは予想すべくもなかった。