貞之助が小学校へ行って帰って来る迄の時間は、いつもなら三十分も懸らない所なのであるが、その日は一時間以上も懸ったことであろう。
その間に住吉川の氾濫の状況がやや伝わって来て、国道の田中から以西は全部大河のようになって濁流が渦巻いていること、従って野寄、横屋、青木等が最も悲惨であるらしいこと、国道以南は甲南市場も、ゴルフ場もなくなって、直ちに海につながっていること、人畜の死傷、家屋の倒潰流失が夥しいらしいこと、等々がぼんやり分って来たが、要するに幸子たちの耳にする報道は悲観の材料ばかりであった。
しかし貞之助は、関東震災の時に東京に居合せた経験があって、こう云う場合の風説が如何に針小棒大に伝播するものであるかを知っていたので、その例を引いたりして、妙子について半ば絶望的な気分にさえなっている幸子を宥めた。