そして、鉄道線路を伝われば本山駅までは行けると云うのであるから、兎に角行けるところまで行って、自分の眼を以て確かめて来よう、ほんとうに噂のような水勢だとすれば、自分が行ってもどうにもなりはしないけれども、恐らくそんなではないような気がする、震災の時でも分っているが、天変地異に際会して人間が死ぬ率と云うものは案外少い、端から想像してとても助かる筈がないと思えるような場合でも、大概助かっているものである、何にしても今から泣いたり喚いたりするのは早計であるから、気を落ち着けて自分の帰りを待っているがよい、尚又、多少帰りが遅くなるようなことがあっても、自分については心配しないで貰いたい、自分は向う見ずな冒険はしない、前進不可能と見れば何処からでも引き返して来る、と、貞之助はそう云って、腹が減った時の用心に握飯を作らせ、少量のブランデーと薬品を二三種類ポッケットに入れ、長靴は懲りたので半靴にニッカアズボンを穿いて、又出かけた。
鉄道線路に沿うて行くとして、野寄までは一里強ぐらいなものであろうか。
散歩好きな貞之助はあの辺の地理をよく知っており、洋裁学院の建物の前も度々通っているのであるが、彼に一つ希望を抱かせたことと云うのは、その建物は、省線の線路が本山駅を出て西へ十数丁行ったあたりの直ぐ南側に、一本の道路を隔てて甲南女学校がある、その女学校から少し西へ寄った所、線路から云えば南へ直径一丁ほどの地点にあるので、もし線路上をその女学校の附近まで伝わって行けるものとすれば、或は洋裁学院へも到達し得るかも知れず、し得ない迄も、その建物の被害程度を探ることぐらいは出来そうに思えたのであった。