南海の高嶋屋に勤めている庄吉は、大阪の方は格別のこともなかったので阪神間がそう云う災禍に遭ったろうとは夢にも想像していなかったところ、正午頃に号外が出、住吉川と蘆屋川沿岸の惨害が甚大であることを知って、午後から店の方を休んで、取る物も取り敢えず飛び出したのが、今迄かかって着いたのであった。
途中或る所では阪神電車、或る所では国道電車、阪国バスなどを乗り継いだり、貨物自動車やタキシーを掴まえて無理に乗せて貰ったり、乗物の利かない所は歩いたり渡渉したりして来たと云うことで、食料品を入れたリュックサックを背負い、泥だらけになったズボンを膝の上までたくし上げ、靴をぶら提げて徒歩跣になっていたが、業平橋附近の惨状を見てはお宅もどんなであろうかと胸を痛めておりましたのに、この通りへ来ると、まるで譃のように平穏なので、何だか阿呆らしい気が致しましたと、先ず幸子に喜びの挨拶を述べた。
と、そこへ悦子が帰って来たので、まあ、娘ちゃん、よろしゅうございましたなあと、―――平素から口数の多い、表情たっぷりな物云いをする男なので、―――わざと鼻を詰まらせたような作り声を出して云った。