それから庄吉はやっと気が付いたように、何か私で出来ますことなら御用をさせて戴きますがと云って、旦那さんやこいさんはどうなさいましたと云い出したので、幸子はそのことで今朝から案じている次第を、また事新しく細々と語った。
尤も、幸子の心痛が今朝より一層募っていたのには、あれから又いろいろと聞き込んだことがあるからであった。
たとえば住吉川の上流、白鶴美術館から野村邸に至るあたりの、数十丈の深さの谷が土砂と巨岩のために跡形もなく埋ってしまったこと、国道の住吉川に架した橋の上には、数百貫もある大きな石と、皮が擦り剥けて丸太のようになった大木とが、纍々と積み重なって交通を阻害していること、その手前二三丁の南側の、道路より低い所にある甲南アパートの前に多くの屍骸が流れ着いていること、それらの屍骸は皆全身に土砂がこびり着いていて顔も風態も分らぬこと、神戸市内も相当の出水で、阪神電車の地下線に水が流れ込んだために乗客の溺死者が可なりあるらしいこと、―――これらの風説には臆測や誇張も加味されていたに違いないのであるが、就中、幸子のと胸を衝いたものは、甲南アパートの前の屍骸云々の件であった。